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下総国二ノ宮


 

 

 

蘇我駅西口から南西に20分(約1.3Km)ほど歩くと、黄色く紅葉した銀杏の木の下に、蘇我比咩神社(そがひめじんじゃ)が佇ずんでいます。

 

延喜式神名帳の、下總國11座の中の千葉群1座は、蘇我比咩神社です。

古い書物で確認できるかぎりでは、1085年前に、蘇我比咩神社は、この場所に存在していました。

 

日本武尊命(やまとたけるのみこと)は、『日本書紀』、『古事記』、『先代旧事本紀』などの、古い日本の歴史書に出てきます。

日本武尊命が東征の際に、 千葉沖で竜神の怒りを静めるため弟橘姫が海中に身を投じ、共に海中に身を投じた五人の比咩の一人(蘇我大臣の娘)が、蘇我の海辺に打ち上げられ、里人の手厚い看護により蘇生することができ、都に帰ることになりました。

その里人の行為に感激した第十五代応神天皇が、蘇我氏をこの周辺の国造として仁政をつかさどり、そしてここの地に、蘇我比咩神社を建立しました(下記御縁記より)。

 

日本武尊命の東征が、景行40年(110年)、第十五代応神天皇の在位は、応神元年1月1日(270年2月8日) ~応神41年2月15日(310年3月31日)ですから、1902~1702年も前のことになります。 (Wikipediaより)

1085年前でも、とても長い年月ですが、1902~1702年前となると、途方もない昔のお話になってしまいます。

時代で言うと、弥生時代のお話になるのでしょうか。  

 

★下総国二ノ宮(郷社)蘇我比咩神社御縁記(神社内説明板より引用) 

当神社は、今から壱阡五百年前里人の守り神として祭られており、その後第十二代景行天皇の皇子であらせられた日本武尊命が東国地方の夷達を統一すべく、弟橘姫を始め多数の家来をつれて軍船に乗り千葉沖に差しかかったところ風浪が強くなり船が沈没の危機にあった時、弟橘姫は竜神の怒りを静めんと我が身を海中に沈めこの時一緒に同道して来た五人の比咩等も供に海中に身を投じた。その内の一人蘇我大臣の娘はこの下の海辺に打ち上げられ里人の手厚い看護により蘇生することが出来都に帰ることができた。この里人の行為に深く感激し第十五代応神天皇の特別の命により蘇我氏がこの周辺の国造として仁政をつかさどった。代々蘇我氏は「比咩神社」「春日明神」を守護しんとしており当時に両大臣の分霊を受けづきて神社を建立した。その徳は山よりも高く海より深く人々から「御春日様」として敬慕され、江戸時代にはいるや徳川家康も禄高十石を送り敬拝した。この所は江戸への街道又は海上輸送の要衝にもあたるため参勤する大名を始め多くの人々が参詣した。 

今もって海難防止、民政安定の守護信として崇拝されたおります。

 

★延喜式神名帳

<引用> 喜式神名帳 『 ウィキペディア   フリー百科事典 』 より 

延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」とされていた全国の神社一覧 。

 

★日本武尊(やまとたけるのみこと)

<引用> 日本武尊 『 世界大百科事典 第2版 』 より  

 

《古事記》《日本書紀》《風土記》などに伝えられる英雄伝説の主人公。記では倭建命と記す。景行天皇の第3皇子,母は播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)とされ,幼名に小碓(おうす)命,倭男具那(やまとおぐな)王がある。年少にして勇武人にすぐれ,諸方の平定に派遣されて日本武尊の名を得るが,長途の征旅,漂泊の末に力尽きて倒れる悲劇的人物として描き出されている。

 

 

 

 

 

御祭神

天照皇大御神(伊勢の大神)

蘇我比咩の大神

春日大明神(奈良県奈良市にある神社の御祭神) 

  経津主神(ふつぬしのかみ)(香取神宮の主祭神) 

  武甕槌命(たけみかづちのかみ)(鹿島神宮の祭神) 

  天児屋根命(あめのこやねのみこと)(春日大社の祭神の一人) 

  天児屋根命比売神(あめのこやねのみことひめがみ)(天児屋根命の妻)

応神天皇( 第十五代天皇)

  

「ホツマツタエ」という古文書があります。 

その古文書では、香取神宮祭神、経津主神の妹アサカヒメと、カスガ殿のヰチヂが、夫婦となり、天児屋根命が生まれました。 

そして鹿島神宮祭神の武甕槌命の娘ヒメガミと、天児屋根命と夫婦となります。 

これが事実なら、春日大明神の祭神が四柱の神になっているのがよくわかります。 

 

香取神宮 の主祭神は、経津主神ですが、配神は、武甕槌命、比売神、天児屋根命となっています。(Wikipediaより)

延喜式神名帳の、下總國香取群1座大が、香取神宮です。 

蘇我比咩神社と、香取神宮は、御縁がありそうです。 

 

ちなみに、蘇我比咩神社と、香取神宮の神紋は、「五七桐」です。

 

 

 

★五七桐  

<引用> 桐紋 『 ウィキペディア   フリー百科事典 』 より  

日本には白桐をもとに意匠化された家紋がいくつかある。 

それらを総称して桐紋もしくは桐花紋というが、中でも五七の桐と呼ばれるスタイルが有名である。 

古くから桐は鳳凰の止まる木として神聖視されており、日本でも嵯峨天皇の頃から天皇の衣類の刺繍や染め抜きに用いられるなど、「菊の御紋」に次ぐ高貴な紋章とされた。 

また中世以降は天下人たる武家が望んだ家紋としても有名で、足利尊氏や豊臣秀吉などもこれを天皇から賜っている。 

このため五七桐は「政権担当者の紋章」という認識が定着することになった。

 

 

 

 

蘇我比咩神社には、大三輪神社大山阿久利神社が一緒になっている末社が祀られています。

 

 

★大神神社(三輪神社)(おおみわじんじゃ)

<引用> 大神神社 『 ウィキペディア   フリー百科事典 』 より 

大神神社は、奈良県桜井市にある神社。式内社(名神大社)、大和国一宮、二十二社(中七社)の一社。 

日本で最古の神社の1つとされる。三輪山そのものを神体(神体山)としており、本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。自然を崇拝するアニミズムの特色が認められるため、三輪山信仰は縄文か弥生にまで遡ると想像されている。

 

主祭神 : 大物主大神 (おおものぬしのおおかみ) 

配神   : 大己貴神 (おおなむちのかみ) 

                少彦名神 (すくなひこなのかみ) 

 

『大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。』

 

大神神社(三輪神社) HP 

 

 

★大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ) 

<引用> 大山阿夫利神社 『 ウィキペディア   フリー百科事典 』 より  

大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ) は、神奈川県伊勢原市の大山(別名:雨降山〈あふりやま〉)にある神社である。「阿武利」とも表記し、「あぶり」とも読む。 

相模国に13社あるうちの式内社で、旧社格は県社(現・神社本庁の別表神社)。 

本社に大山祇大神(オオヤマツミ)、摂社奥社に大雷神(オオイカツチ)、前社に高龗神(タカオカミ)を祀る。

 

大山阿夫利神社 HP 

 

 

 

末社は、本社の祭神や由緒に深い関係をもちます。 

さて、大三輪神社大山阿久利神社蘇我比咩神社とは、どのような関係があるのでしょうか。